自分の軸はある?~他責の人~幸せのヒント!

誰かのせいにしてしまう

ついつい、あの人のせいでこんなことになってしまった、あのときあんなことがあったから、

なんて、誰かや出来事のせいにしてしまうことはありませんか。

気持ちはよくわかります。なぜなら、私がそうでしたから。

でも、人のせいにしたところで、本当は自分の心は幸せにならないということに気づいていますか?

例えば、

「今日は何食べたい?→なんでもいい→○○でいい?→いいよ」

こんなやりとりは日常でないでしょうか。

「なんでもいい」と言ったのに、後で文句を言ったりする人。

繰り返し何度も尋ねると、これがいいという答えはあるようなのですが。

自分がそうしたいと欲したのではなくて、いいかと聞かれてOKしただけなので、あなたの責任だ、など。

相手の責任にして、自分で責任を取らない人、けっこういたりするのですね。

私は自分のことは自分で責任を取ります。逆にいうと、自分で責任を取れないことは引き受けません。

基本「自己責任」ありきだと思っていますので。

数年前にこんなことがありました。

養成学校で起きたこと

先ほどの資格取得のための養成学校で起きたことです。

学習した知識レベルを判定する試験があって、合格ラインに達しない場合は、学校内の試験とはいえ追試となる試験です。

そのとき、運営側にミスが生じました。

採点済みの答案用紙を返却中に採点ミスが発覚し、急遽回収をして、採点をやり直すことになりました。

事態が発覚するまでの間、早めに答案用紙を戻された人たちは、互いの採点や解答についてのディスカッションを始めていました。

私もその一人で、間違えた問題の答え合わせや振り返りを行う中、回収のアナウンスがあったのです。

私はある人から、自分が間違えた問題の正解を教えてほしいと頼まれて、ある問題の答えを教えていました。

回収が告げられたそのとき、その人が間違っていた自分の解答を正解答へ修正した上で提出し、

「眞橋さんが教えてくれたから」と、自分の不正行為に、私が加担しているようなことを言ったのです。

私はエッと驚きました。が、その場で何も言えず。

気持ちの中ではモヤモヤした嫌な感じが続いてしまい、その後の授業でもどこでも、

私はその人に関わることができなくなりました。

関連するかどうかはわかりませんが、その後こんなことが起きました。

同じ授業を受けるみんなと、それまではおしゃべりしたり食事に行ったりしていたのですが、

声がかからなくなりました。その頃ちょうど、その資格試験に対しての自主勉強会を始める頃でした。

一人ひとり個別に話すと「一緒にやろうね」「開催するときは声かけるね」と言うのですが……。

私が勉強用に空き教室を借りておくと他のみんなで外部の違う場所へ移動したり、

声がかからず勉強会が行われたことがあったようなので聞いてみたら

「ちゃんとした勉強会じゃなくてプチ勉強会だから」と返ってきたり、

養成学校を卒業後に学友からイベントへの依頼があったので何人かで参加していたのに

翌日の学友の集まりについて何も知らされなかったり(後日人づてに知りました)、

これが大人のいじめなのかと悲しくて悔しくて腹立たしく思ったことを覚えています。

カンニングまがいの行動や、人の心をないがしろにするような人たちが、他の誰かの人生を支援できる人になるだなんて、

信じられない気持ちでいっぱいでした。

また、同時期に別の資格試験があり、合格に至ることができませんでした。

何種類かの試験を重ねる中、試験のやり方そのものにも疑問点がいくつか出てきました。

最終的には「面接補講」との案内でしたので「知識補充のため」と認識していましたが、どうやら「面接試験」だったようです。

面接官が2名いらして、質問に対して私が答える、といったスタイルです。ここで、面接官同士の意思が食い違います。

一人が質問しようとするともう一人が言い直したり、面接官同士が言い合ったり、

私に対して攻撃的な言い方の人の傍らでもう一人は何度もあくびをしています。

「いったいこれってなんなの!

そもそも5日間のトレーニング講座で、第一人者が何人も集まっているのにリードできなかったんじゃない!」

と私は怒りが込み上げて硬直し、正解が口まで出かかっているようなわかっていることさえも答えることができなくなりました。

他人は変えることができません。

変えることができるのは自分です。

もう一つ変えることができるのは、過去の出来事の捉え方です。

いろいろと言いたいことはありましたが、いずれも誰の責任かといえば、それは私なのです。

なぜそうなったのでしょうか。

私は不正自体にものすごく抵抗があります。そして罪をなすり付けられるのは嫌であることを、きちんと相手に伝えればよかったのです。

面接の件も同様で、相手を尊重しない状況では冷静に向き合えないことを、はっきりと相手に伝えればよかったのです。

さらに、そうしなかった自分自身に対して、感情に振り回されてなすべきことをやらなかった自分に対して、本当は憤りを感じていたのです。

私は自分の感情をうまくコントロールできていませんでした。

振り返ってみれば、そのときの私の状況は、不安を抱えながら学校に通っていた、

仕事を優先してご飯も食べないでいた、など、心や体にストレスを与えていたのは自分自身だったのです。

責任はすべて自分自身にあるのです。

この一連の出来事の中で、怒りの感情をコントロールするアンガーマネジメントという希望の光に出会いました。

わらにもすがる思いでそこに飛び込んだことで、今の私があります。

アンガーマネジメントについては、また後で触れていきますね。

さて、あなたは一日に何回、人のせい=他責にしていますか?

心は穏やかでしょうか。