『きせき のぼるは小学5年生』第2章(後編)

※川合 仁美著書の『きせき のぼるは小学5年生』から一部抜粋記事です。


第2章 はじまり(後編)

「おい」

クラスメイトの「きゅうり」がいる。もちろん、「きゅうり」はあだ名だ。彼は、細くてひょろひょろとしていて、きゅうりのように「味がない」性格なので、そうよばれていた。目立つこともなく、まわりに反対することもなく、存在感がうすい。そんな「きゅうり」を、のぼるはターゲットにすることが多かった。反抗することがないからだ。


のぼるの声に気がついて、きゅうりが振り向いた。のぼるの顔を見たとたん、とてもイヤそうな顔をした。そんなきゅうりに、のぼるは、ムッとした。まだ、何もしていないじゃないか。ムッとしたので、きゅうりのおなかに、パンチをくらわした。そんなに強いパンチではないけれど。きゅうりがくるしそうに顔をゆがめた。


しまった。強くやりすぎたかな。でも、ぼくを見て、変な顔をするからだ。きゅうりは、それ以上、のぼるにやられないように、教室に向かって、走っていってしまった。

「のぼるくんは、すぐに手がでてしまうのね」

また、ミシャだ。そうだった。いたんだった。


今までは、いつもまわりに人がいないから、ミシャがいることをすぐに忘れてしまう。もちろん、のぼるには、ミシャのすがたがいつもはっきり見えているのだが。さっきの朝の支度のように、説教がはじまるのか。やだな。

「のぼるくんは、わたしが言っていることが、説教だと思っているのね」

そうだろ。だって、ああしろ、こうしろ、って言うじゃないか。


「本当に、わたしは、そんな言い方をしているかしら?」

だって、朝の話をしていたときだって、準備は前の日にするように、って言ったじゃないか!

「よく思いだして。それは、わたしが言ったことだった?」

ぼくに何かをさせようとしているのであれば、それは、ぼくじゃなくて、だれかが言ったことだろ? ん? でも、待てよ。ミシャと朝の支度の話をしていたとき、ミシャは落ち着いていたな。お母さんやお父さんみたいに、「~しろ!」とどなられていないかも。


のぼるは、いつも叱られ、どなられていたので、だんだん、大声をだされることに「まひ」してきていた。大声をだされたときに、右から左へ聞き流せるように、のぼるも知らないうちに、練習していたのだ。そうだった。ぼくが言ったんだった。

「よく思いだせたね。その調子。じゃあ、きゅうりくんへの態度は、どうして、そんなに攻撃的なのかしら?」

だって、きゅうりを見ていると、むかつくんだもん。


「むかつく、って?」

むかつくのは、むかつくんだよ!

「腹を立てる、ということね。きゅうりくんの何に、腹を立てているの?」

もう、教室行かなきゃ!

「話題を変えたね。あまり話したくないみたいね。もう少し、ゆっくり話せるときに、また一緒に考えましょう」

うっ。また、話すのか……。ミシャがそうよ、とうなずいていた。


やっと、教室に着いた。教室に着くまでに、のぼるはつかれきっていた。なんだか、今日はつかれるな。担任の先生がやってきた。朝の号令がかかった。

「起立。礼。着席」

いつもの号令だ。毎日、毎日やらされるので、いつも、のぼるはダラダラやっていた。つかれているのに、立ち上がるのもめんどうくさい。担任の先生が、今日の予定を話していた。


今年の担任の先生は、男の先生だ。よく言う「体育会系」らしい。お母さんがそう言っていた。のぼるには、その意味がよくわからなかった。でも、この先生は、体育の授業が大好きらしい。いつも笛を持って、はりきっている。怒ったときは、とてもこわい。そのときの、先生からでてくる空気は、真っ赤になる。その真っ赤な空気が、まるでモンスターのように、のぼるを食いちぎってしまいそうな勢いだった。だから、この先生には、なるべく見つからないように、のぼるはいつも細心の注意を払っていた。でも、残念ながら、この担任の先生は、のぼるのことをいつも見ていて、気にかけていた。


「今日は、3時間目に書道の時間があります。書道の道具は、2時間目の終わりの休み時間に用意しておくように」

しまった! 書道の道具をぜんぶ忘れてしまった!のぼるは、忘れ物も多い。朝、あせって準備をするのだから、忘れ物が多いのも当たり前だ。でも、もうひとつ、理由があった。

予定帳を書いていないのだ。


「なぜ、予定帳を書かないの?」

だって、めんどうくさいじゃん。

「でも、書かなければ、何を持っていけばいいか、わからなくならない?」

頭で覚えているから、大丈夫!

「今日、忘れ物したんじゃない? 書道の道具とか?」


それは、朝、バタバタしていたから。

「じゃあ、今日から、前の日に準備するから、忘れ物は少なくなるわね」

うん。予定帳なんていらないよ。

「まあ、それで、ためしてみよう」

それ以上、ミシャは追及しなかった。


ほっ。よかった。と、思ったが、

「あ、しまった!」

「どうした? のぼる? 何が、しまった、んだ?」

「なんでもないです」

先生は、じっとこちらを見ているが、のぼるは下を向いてやり過ごした。思わず、声がでてしまった。


ミシャは、ぼくが考えていることは、すべてわかるんだった。だから、「よかった」と思ったことも、ミシャにはわかったはずだ。でも、ミシャはそれ以上、予定帳のことを言わなかった。とりあえず、書道の時間をどうするかだな。お母さんに電話して、持ってきてもらおうか。ダメだ。また、怒られる。お母さん、今日、仕事だし。


う~ん。他のクラスのだれかに借りるか。のぼるは、忘れ物をしたら、他のクラスのだれかに、借りていた。というよりも、少しおどして、勝手に持って行っていた。今回もそれでいくか。

「だめよ。勝手に人のものを取っていったら」

ミシャが少し悲しそうな顔をして、のぼるを見ていた。じゃあ、どうしたらいいんだよ?



「のぼるくんが忘れ物をしたのは、のぼるくんの責任なの。だから、自分でその責任を負うのよ。書道の時間、担任の先生に正直に忘れたことを話すの」

え? あの、担任の先生に!? 正直に忘れたと言ったら、どれだけ怒られるか、想像しただけで、のぼるはふるえ上がった。

「そう、自分の失敗は自分に返ってくる。でも、自分の成功も自分に返ってくる。自分の行動には、その結果がかならずあるのよ」

書道の道具を「忘れた」結果が、自分で先生に言って、「怒られる」ということ?


「そうね。どう返ってくるかは、話してみたら、わかることだけれど」

はあ。気が重い。もう、帰りたい。

「いやなことから、背を向けていたら、何も前に進まないよ。でも、少しだけ勇気をだして、正面を向いたら、きっと、自分が思っている以上に、ラクになるよ」

そうかなあ。にげているほうが、ラクだと思うけど。


「今日はとにかく、先生に正直に言って、忘れたことに『正面』から向き合ってごらん。ほら。わたしもそばにいるから」

あの先生に話すときも、ミシャがそばにいてくれたら、こころ強い。さっきまでは、ミシャのことを少しうとましく思っていたのぼるは、ちょっぴりはずかしくなった。

「いいのよ。大丈夫。いろんな感情、気持ちがでてくることは、とても自然なことなんだから」

でも、そもそも、先生に正直に話せ、と言ったのは、ミシャだったんだけど。


のぼるは、こころの奥底では、だれかをおどして、勝手に持って行くのはよくないことだと、じゅうぶんわかっていた。だって、それをすると、次からは、その子はのぼるの顔を見ただけで、ダッシュでにげていくことが多かったから。少しなんとかしてみよう。とのぼるは、すなおに思った。朝の会が終わり、担任の先生が、教室からでて行くところだ。


「先生」のぼるは、えいっという気持ちで、先生をよんでみた。声が少しかすれてしまった。でも、先生はちゃんと振り向いてくれた。

「お、なんだ? のぼる?」

先生の顔を見たら、体が固まってしまった。うまく声がでない。そもそも、なんて言おう? 何を言うんだっけ? あせればあせるほど、頭が真っ白になっていく。


「なんだ? 何かあるなら、言ってみろ」

そのとき、ミシャが先生の横に立ってくれた。のぼるは、ミシャという味方がいることを思いだした。

そうだ! 忘れ物のことを言うんだった。ミシャを見て、少し落ち着いたのぼるは、今、何をしようとしていたのかが、すぐに頭にうかんだ。

「先生、書道の道具、忘れました」

のぼるは、先生の反応がこわくて、下を向いて言った。


「のぼる。下を向いて言ったら、聞こえないぞ」

少し、先生の声が大きくなった。

しまった! 先生、もう怒っている!

「のぼるくん、顔を上げてごらん。先生の表情を見てごらん」ミシャがやさしく、のぼるに伝えた。

のぼるは、こわごわ顔を上げた。


びっくりした! 先生は、少しほほえんでいる! 怒っていない!

「先生、書道の道具、忘れました」

もう一度、顔を上げて、先生の顔を見ながら、のぼるは伝えた。勇気を振りしぼっている感じだ。さらに、のぼるはおどろいた! なんと、先生がまだほほえんでいる。

「のぼる、よく忘れ物しているだろ。でも、はじめてごまかさないで、先生に言えたな」


てっきり、どなられると思っていたのぼるは、おどろきのあまり、声がでない。体も固まったままだ。

「忘れ物をするのは、よくない。のぼるにとって、よくない。でも、それをごまかそうとするのは、もっとよくないぞ。今回は、先生に正直に話してくれたことをほめるぞ」

怒られるどころか、ほめられた!のぼるには、わけがわからなかった。


「次回からは、忘れ物を少なくするように努力すること。今日は、先生の道具を貸してやるから」

「ありがとうございます」

自然に、のぼるの口から、感謝の言葉がでてきていた。なんだかわけがわからず、ぼーっとしながら、のぼるは席にもどった。なんで、先生、怒らなかったんだろう? あんなにこわい先生なのに。

「なぜだと思う?」

ミシャが落ち着いた声で問いかけた。


その声を聞いていたら、のぼるは、すっと、こころが落ち着くのがわかった。先生は、今までのぼるがたくさん忘れ物をしていたことも知っていた。だから、今日は、いつもとちがって、忘れたことを正直に話したことを、先生はほめてくれていた。

「先生は、のぼるくんの忘れ物について、今まで何も注意してくれていなかった? 助けてくれたことはなかった?」

のぼるは、今までのことを少し思い返してみた。


う~ん、何かあったかな? そういえば、よく、先生はぼくに「予定帳は書いたか?」って聞いていたな。めんどうくさいから、ずっと聞き流していたけど。のぼるは、大人の言うこと、まわりの言うことを、右から左によく流していた。気を向けることはあまりなかった。

「でも、わたしも大人よ。わたしの言っていることは、聞いているみたいだけれど」

そりゃ、ミシャは、そばにずっといるし、なんと言っても、ぼくの考えが読めちゃうからね!

ミシャはおもしろそうに笑った。


「それもそうね」

「でも、のぼるくん、わたしの言っていることに注意を向けられるのであれば、他の大人たち、まわりの声も聞くことができるんじゃない?」

でも、大人たちは、言っていることが細かいんだよな! あれこれ、うるさいんだよ。

「今、先生の注意の言葉、予定帳は書いたか? ってよく聞かれていたことに気がついたわよね? それに大切な意味があったのも、今、わかったのではない?」


うん。なんか、ちょっとくやしい気持ちもあったが、たしかに、先生はのぼるの忘れ物、予定帳のことを気にかけてくれていた。ただ、のぼるが、それに聞こえないふりをしていたのだ。

「忘れ物のことは、先生とも一緒に考えてみるといいわね。今回、怒るだろうと思っていた先生が、怒らなかったのはどうしてだったと思う?」

だから、正直に忘れたことを話したから。


「そうね。自分の失敗を、ちゃんと自分で認めたからだね」

あ、そうか。ミシャが言うとおり、失敗をかくそうとしないで、にげようとしないで、向き合ったからか。こういうことが「向き合う」ってことか。

「そのとおり! 自分の失敗に向き合うことは大変なことだけれど、でもこうやって向き合って、それを積み重ねることが、これからののぼるくんには、とても大切なことよ」

のぼるの中で、じわじわと、あったかい感覚がでてきた。はじめての感覚だった。