人生のどん底!会社・家庭・お金・家すべてを失った男の体験談。

「苦しい環境に救われた?」どん底を味わった体験。

皆さんは、本当のどん底を経験したことはありますか? 私が経験したどん底は、セレブ生活からホームレスに真っ逆さまに落ちた底なし沼のような先が見えないどん底でしたが、時として、人は苦しい環境に救われることがあります。どんな経緯でどん底に陥ってしまったのか? どのようにして這い上がってくることができたのか? それは、私の生い立ちと深く関係していますので、当時の家庭環境を知っていただければ、私の生き様がより分かっていただけると思います。


私の実家は決して裕福な家庭ではありませんでしたし、私が子どもの頃は、両親は共働きで、幼稚園や小学校から帰宅しても誰もいない寂しい空間の家でした。今でも覚えているのは、担任の先生が家庭訪問の日、待てど暮らせど来ないのです。当時はまだ家に電話もありませんでしたから、確認のしようもありませんでした。翌日、学校で先生に「待っていたのだけど、何故来なかったの?」と聞いたところ、返ってきた言葉がショックなものでした。「住所の家に行ったのだけど、あまりにもボロイ家だったので、まさか人が住んでいると思わなかったので訪ねなかった」と。子ども心に傷つきましたね。


それと、家の雨漏りが酷くて、雨の日には、雨漏りをする6か所ぐらいの天井の下にバケツを置いていました。夜に雨が降ると悲惨で、バケツに響く雨漏りの音で眠れなかった思い出があります。私が大学生の時、父親の退職金で新しい場所に家を建てたのですが、全てが退職金で賄えるわけではありません。家のローン返済の為に父親は定年後も働いていましたが、ある時、病気と怪我で働けなくなってしまったのです。当然、ローンの返済ができなくなりますから、私は大学の授業が終わった後、終電までアルバイトをし、そのお金を返済に充てていました


そんな家でも父親は厳格な人で、〝女の子は大学卒業まで親の責任、男の子は高校卒業まで親の責任〟という教育方針でしたから、私は、高校を卒業して、アルバイトで学費を稼いで、大学へ進学。今思えば、その当時から、自分の未来は自分で考えて行動し結果を出すという独立心が芽生えていました。


両親は、私を公務員か銀行員にしたかったようですが、その期待を見事に裏切ってしまい、大学卒業後、広告代理店に就職しました。初任給は、アルバイトよりも安い給与で、辞めていく社員も当然いました。しかし私は、入社した時すでに、3年後に独立して起業をする計画でしたので、〝会社で仕事のノウハウを勉強させてもらって給与まで頂いて、何とありがたいことか〟と気持ちを切り替え、人の何倍もの仕事をこなし、3年後には部署のトップまで上り詰め、給与も入社時の3倍になっていました。


人間関係は石橋を叩いて渡るぐらい安心でちょうどいい。

そして、目標が叶い、26歳でデザイナーとして起業しましたが、そう簡単に仕事が舞い込んで来るとは限りません。半年ほどは、ほとんど収入もなく、貯金を切り崩しながらの生活をしていましたが、貯金も底をつき、ついには毎日、食パンだけの食事でした。時々、親からの電話があっても、心配をかけてはいけないと思い、「大丈夫! 上手くいっている」と返事をしていました。そんな生活が続きましたが、ある時、自分自身が必要とされる人間にならないといけないと考え、ひとりでも多くの人と出会う時間を作るように心掛けたのが今の考えにいたったきっかけです。


その後、業績も順調にいき、会社を法人化し、メガバンクからも優良企業のお墨付きをいただき、23年間、大阪本社で、東京・カナダにも会社を設立し、経営者として飛び回っていました。超高級住宅地でセレブ生活を満喫し、何不自由のない生活が永遠に続くと思っていましたが、そうではありませんでした。


自分自身の心に安心感と隙があったのでしょう。私が49歳の時、社員による莫大な金額の持ち逃げ詐欺に遭い、会社も家族もお金も家も全て失い自暴自棄。その社員は、私の友人の紹介でしたから、信用した自分自身が甘かったのだと、後になって気付かされましたが、もっとショックだったのは、その友人も共犯者だったということです。


さらに、追い打ちをかけるように、妻に「離婚してほしい」と迫られました。妻は再婚で、小さい子どもがふたりいましたので、子どもが成人するまで結婚は待ってほしいと言われ、結局13年間待って、念願叶って、やっと結婚をすることになったのですが、その3年後に持ち逃げ詐欺に遭ってしまったのです。


一番信頼していた妻に「あなたが立ち直ったらまた一緒に住もう」と言われ、相手のことも考えて離婚届に捺印しました。しかし、その後、全く連絡が取れなくなり、自宅の鍵も変えられて家に入れないようにされ、自宅の電話もファックスも妻・子どもの携帯番号も全て変えられていました「あなたが立ち直ったらまた一緒に住もう」という言葉は、離婚届に捺印させる為の口実だったのです。


〝金の切れ目は縁の切れ目〟って本当にあることを思い知らされましたが、後の祭りです。仕事での失敗は、何度でもやり直すことはできますが、一番信頼していた人から裏切られたことに、いたたまれない思いでした。さらにショックだったのが、妻の子どもが最後に私に言った言葉です。「3年間で本当の父親になれたと思うな!」私は、妻のふたりの子どもに自分の子どものように接してきましたので、その言葉のトラウマがずっと心の痛みとして残っていました


さらにさらに、追い打ちは続きます。私が全てを失った後、両親から「今日で、親子の縁を切ってほしい」と告げられ、高齢だった両親にこれ以上、心配や迷惑をかけたくありませんでしたから、断腸の思いで「分かった」と返事をしました。両親からすれば、本心ではなかったと思いますし、苦しんでいる私を見るのが辛かったのでしょう。


また、私が持ち逃げされたお金の問題の処理で駆けずり回っている間、私の右腕となって働いていた社員が、社内の金目になる備品を売りさばいていたこともありました。売りさばいて得た現金を自分のものにしていたのですから、ビックリです。


人を信じ過ぎたというリスクと引き換えに、私の人生は、生きる目的も、喜びも、悲しみも、皆それ以前と違ってしまいました。その時の私の心境は、考えているうちにたまらない喪失感に襲われ、それは耐えられぬほど自分自身を責め、もう全てを諦めなければならない、というものでした。人を騙す人間というのは、相手の心を読み、隙を見つけ、そこに付け込む才能に優れていますから、時には、石橋を叩くぐらいの気持ちで人間関係を構築することも必要でしょう。


しかし、全て自分自身の脇の甘さが招いたことだということも事実です。私が闘ってきたように、毎日、苦悩と闘っている人もいるでしょう。でも、ひとりで闘おうとしないで、志を同じくする人がたくさんいることに気付いてください。闘わなかった後悔は、ずっと残りますし、必死になることで、周囲に支えてもらえるのですから。


人間にとって仕事とは本来、自分が社会から必要とされている証であり、たとえ目立たなくても自分にしかできない役割を、日々、堅実に果たすことで得られる誇りや生きる充実感の源泉になるものです。だから、私はもう一度立ち上がろうと考えました。そういう意味では、「苦しい環境に救われた」と言っていいのかもしれません。