0歳の赤ちゃん期の育て方と言葉の発達の関係性・・

大事なゼロ歳代は人生の土台作り期

ゼロ歳代のことは成長したときにほとんど誰も覚えていません。でもとても重要な時期です。建物にたとえるなら最初の基礎工事の部分にあたります。家が出来上がってしまうと基礎部分は隠れてしまい日常では忘れられてしまうのと似て、赤ちゃん時代も本人の記憶からは忘れ去られていきます。


でもこの部分がしっかりしているほどそのあとの積み上げられる部分が安定するという点では、建築物も人生も同じです。手抜き工事が何年も先に事故を招いたりするのと似ているかもしれません。つまり、家も人間の心も、基礎がしっかりしているほど壊れにくく崩れにくいわけです。


ここでゼロ歳代の赤ちゃんがどんなふうに外の世界に関わっているか、見てみましょう。赤ちゃんはおどろくほど感受性が高いです。自分の五感のアンテナを全面的に頼りにして、周囲のあらゆるできごとをキャッチし、吸収しようと、あるいは必要なら拒絶しようとします。赤ちゃんの心は、周囲が思うよりもずっとさまざまな刺激に開かれているのです。


この人達は自分にとても関心があるらしい。この顔は毎日見るなあ。私が泣くと、いつも寄ってきてくれる、この人は特別な人だな。こうした敏感な赤ちゃんの資質と、無条件に関心を注ごうとする養育者との触れ合いの繰り返しによって、赤ちゃんの心に「自分にとって世界で最も大切な人がいる」、「この人は自分を守ってくれる」という感覚が根付いていくのです。


「赤ちゃんは話せないので退屈」、「赤ちゃんが話し始めたらその時は沢山話しかけてあげるつもり。早く話さないかしら」と言ったセリフを聴くことがあります。とんでもない! 赤ちゃんは自分に投げかけられることばを全身で聴いています


もし周囲の大人が赤ちゃんに何も話しかけず、言葉を使わずにただ黙々とお世話だけをしていたら、赤ちゃんは言葉を覚えずなかなか話し始めないでしょう。赤ちゃんが話せるようになるには、その前に"mother tongue"、すなわち母語をたっぷりと聴き、まず「ことばの貯金」をしておくことが必要なのです。


眠い眠いって泣いてるのね、よしよし、ねんねんころり♬あらあら、汗でぐっしょりね、暑かったでしょう、着替えをしようね。ほうら、お尻がきれいになった、もうスッキリでしょ。そのときそのときの赤ちゃんの様子を情景描写のようにことばで伝えていく、また母親自身の気持ちをことばにする、そういう日々のやり取りから、子どもは生きたことばと人と人との関わりを体得するのです。


子どもは能動的で自分が見たものを教えることが好き。

最近の心理学は、今まで受動的と思われがちだった赤ちゃんが、実はとても能動的で教えたがりであることを実証しています。つまり赤ちゃんは、話せないうちから「あそこがキラキラするよ」とか、「さっきあのオジサンは私のことみて笑ったよ」などと、自分が発見したことは教えたい、自分の感受性のセンサーでキャッチしたことは誰かに伝えたい、と思っています。


ヒトの子は元来ヒトが好きで、ヒトを求め、まだ話せなくてもヒトにあれこれ伝えたいと思っているのです。そういえばいますよね、ベビーカーの中でそりくり返って母親に何か教えようとしている子。抱っこひもの中からしきりに何かを指さししている子。あの子たちは、お母さんやお父さんに自分が今感じていることを伝えたくて伝えたくて、それで振り返ったり指差ししたりして訴えているのです。


ところが、電車などで、子どもが外を見ながら「アーアー」と指さししているのに、お母さんはスマートフォンに夢中で全く気づかないといった姿が最近たびたび見うけられるのです。そういう時、私は本当に悲しくなります。「お母さん、その瞬間瞬間が大事なのよ、こういう場面の些細なやり取りが、将来の豊かな人格を作るのよ」と叫びたくなって……。


ここで、随分昔に保健所から受けたケースの話をしましょう。あるとき、2歳になった子どもを連れた若い母親が保健師に連れられてやってきました。一見問題なく育っているようなのに、ことばがほとんど出ていないというのです。話を聞くと、結婚前に従事していた家内工業の会社から手伝ってとたのまれたので、ゼロ歳児だったその子を連れて仕事場に行き、授乳の時間以外は暗い奥の部屋に寝かせて仕事をしていたといいます。


赤ちゃんが動くようになったら手の空いた人が時々あやし、大人しくしていれば赤ちゃんの周りにおもちゃをベタベタと置いていたそうです。その子は可愛い女の子でしたが、表情が乏しく、とても静かでした。私はその母親に、もっとことばを使いながら丁寧に関わるよう助言し、一方で女の子

には臨床心理学に裏付けられた特別な一対一の関わりを開始しました。


すると、それほど経たないうちに言葉が出始め、その後はどんどん増えていきました。そして数か月も経つと、笑顔も豊かになり、時にはやんちゃな、元気な子に育っていったのです。チンパンジーやサルの子だって、親との関わりなしではすくすく育たないと言われています。ましてやヒトの子となれば、授乳やおしめの交換といった世話をほどこすだけでは不十分であるのは当然でしょう。それらの世話も含めた、さらにそこに養育者の気持ちをのせての、心と言葉の交流が不可欠なのです。つまり、「こころのよりどころとなる関わり」、「人生の基盤となる母と子の心のやり取り」があってこそ、ヒトの人生はまさに生まれてすぐの赤ちゃんから関係の世界へと開いていくのです。

人を大切にできない人は「人を大切に思う」プロセスを学べなかった人。

社会では、ときどき無差別殺人のような痛ましい事件が起こります。犯人を観察すると、ゼロ歳から幼少期時代の「人生の基盤」、言い換えれば「しっかりとした基礎工事」部分が築かれていないのではないか、と思わせられることがよくあります。ちなみに、「人を人と思わないような……」という表現がありますが、それはそういったタイプの人が「人として大切にされるというプロセス」を体得させてもらっていないから、つまり「人を人と思う」ことが自然に身に付いていないために、本人自身、「人を人と思う」ことが難しくなっているのかもしれないのです。


だから、赤ちゃんが大人しいからと言って手を抜かないでください。扱いにくいからと言って放り出さないでください。毎日の、充実した人と人とのやり取りをしっかりと積み上げてください。何か訴えているようなら、「どれどれ」、「なあに?」と対応してあげましょう。それは時に苦痛なこともある取り組みですが、もう少し頑張れば報われるのだと信じて、忍耐強く丁寧に関わってほしいのです。


最初の頃は一方通行くらいに感じられた赤ちゃんとのやり取りも、月齢が進むにつれ、反応がはっきりし、興味あるものを「オーオー」と指差すなど可愛い手ごたえが出てきます。そして1歳を過ぎる頃には、「ブーブー」や「パパ、ママ」など言葉らしくもなってきます。ただし、あせりは禁物!


たとえば発語は個人差が大きいので、母子のやり取りが豊かであっても、なかなか話し始めない子もいます。そういう場合でも、赤ちゃんの表情が豊かで大人側の言葉や指示がスムーズに届いているなら、そして心理的にしっかり育っていれば、大丈夫です。赤ちゃんは与えられたさまざまなことばをじっくりたくわえて、いつになったら話し出そうかなと慎重にかまえているのでしょう


一人ひとりの指紋や顔が違うように、それぞれが個性的に成長しているのだから、細かな発達の違いを比較して一喜一憂する必要はまったくありません。独りよがりに我が子を自慢するような姿は周りからすればバカバカしいものですが、「うちの子が一番」と思って大切にし、信じぬく姿勢はあっていいのです。


もう一つ、赤ちゃん時代の注意ポイントを挙げておきましょう。「赤ちゃんの人見知り」をまるで悪いことのようにとらえている人たちがけっこうい

らっしゃるのです。でもまったくそうではありません。たしかに、せっかく周りの人が赤ちゃんに関心をもって近寄ってきてくれているのに、当の赤ちゃんが泣き出したりプイっと知らん顔したりすると、一緒にいるお母さんの方が気をつかって恐縮してしまう、ということはあります。


でも、「人見知り」は母と子の関係が深まっていることの証拠です。だから「ない」よりも「ある」方が良い。なぜならそれは、子どもが養育者(主に母親)のことを、とても重要な人でほかの人とは違うんだと気づき、「この人のそばにいれば自分は安心」と感じて区別する証しだからです。そうやって、まず安心できるお母さん(あるいは養育者)にくっつき、だんだん慣れてくると、好奇心に引っ張られて気持ちが外に向かう、それが自然な動きです。


赤ちゃんや子どもをよく知る人は、自分が人見知りされても「そうよね、お母さんが一番いいよね」と気にせず、温かく見守ってくれます。でも子どもの心の発達を体得していない人は、人見知りされると「なんて可愛げない子、育て方が悪いのでは?」と、本当は自分が赤ちゃんから敬遠されたことに傷ついているだけなのに、赤ちゃんやお母さんのせいにするのです。


そういう人たちの反応は、自分や子どもを守るために、さりげなくスルーしましょう。心が不安なとき、くっついて安心できる人がいるのは素敵なことです。甘えられる、寄る辺がある、これは人間関係の大切な土台です。ぐずったりくっついたりしてくる時は、しっかりと受け止め我が子を安心させてあげましょう。


でもだからと言って、いつまでもくっついてばかりの子では困ります。やがては「人見知り」を卒業し、親しくなった人には笑顔がはじけるような、好奇心豊かな、前向きな子になってほしいですね。そのためにもぜひ、子どもがくっついてきたら十分に抱いてやり、甘やかしすぎではないかなどと迷ったり突き放したりせず、たっぷり受け止めてあげることです。


大人だって「ケチケチ」より「たっぷり」の方が嬉しいように、「たっぷり」は安心感につながります。安心感が十分に実ったら、熟した実が自然に落ちるように、子どもはおのずから離れて好奇心豊かに外へと、他の人へと動き出すものです。