子育てでイライラ、もう限界。救ってくれたのはヨガだった。

心・体に余裕がなく、毎日イライラして家事をこなすことのみ考えていた私。

私は子育てをきっかけにヨガを学ぼうと思いました。やることが山積みで、思い通りにならないことだらけの子育て生活にイライラする自分に、毎日うんざりしていたのです。自分自身の心の弱さ、未熟さに問題を感じていました


さて、やることが山積みで思い通りにならないことだらけの子育て生活とは、どんな生活でしょう。次男を出産し、育児休暇から職場復帰したころの生活を思い出し、苦しかったことをここでアピールさせていただきます。次男が1歳、長男が3歳の頃の生活です。


私の1日は朝3時から始まる。

朝3時に起きて、5時までは仕事のための勉強をします。職場復帰のタイミングで、業務内容が大きく変わってしまったので、自己啓発で英語やライティングの勉強をしていました。子ども達は目が覚めたときに私がいないと泣くので、寝室から泣き声が聞こえれば、勉強を中断して寝室に駆けつけ、子ども達に添い寝します。


5時から6時までは、その日の夕食の準備と洗濯をします。子ども達は夕方に保育所から帰るとお腹が減っています。お腹が減っていると子ども達は機嫌が悪くなり、家事ができなくなります。子ども達が保育所から帰った後も、機嫌よく過ごせるよう、朝のうちに夕食を作っておくのです。


6時になったら、朝ごはんの準備、子ども達を保育所に送る準備、出勤の準備を始めます。


7時前には子ども達を起こして、服を着替えさせます。もちろん、子ども達はまだ自分で着替えられないので、着替えを助けます。3歳の長男には、着替えさせてあげるのでなく、自分で着替えるように声をかけます。大人のようにサッと着替えられなくても、長男のやる気がでるように、横に付き添って、楽しく歌ったり、褒めたたえたりします。ご飯のときは、集中して食卓に座らないので、結局は食べる時間がなくなって、私が食べさせることになります。


8時前に準備が整って、家を出ようとすれば、トイレに行ったり、何かをこぼしたりすることは毎日のようにあります。保育所まで子ども達を送っていくと、保育所で私と離れがたくて泣かれてしまうこともあります。後ろ髪を引かれながら、先生に子どもを抱っこしてもらって出勤します。保育所

に子ども達を送り出すまでは、自分のことを後回しにしているので、会社に到着して自分の椅子に座ると、むしろほっと一息つけるくらいです。


子ども達が元気なときは、出勤中は仕事に集中できますが、保育所に行くときに微熱があったり、大泣きしたりしていると、仕事をしている間も、保育所から連絡が来るのではないかと心配します。夕方に急ぎの仕事が入れば、保育所のお迎えの時間に遅れてしまわないかとハラハラします。誰かに、仕事と関係のない話や、要点が不明確な仕事の話をされると、限られた時間が無駄に費やされてしまうと感じてイライラします。育児のため短時間勤務をしていても、周りと同じように成果を出すべきだと考えていました。


16時30分には職場の人に「お先に失礼します」といって退社します。保育所に子ども達を迎えにいくと、先生が日中の様子を話してくれます。最近できる様になったことや、成長に合わせた関わり方を教えてくれます。私が仕事で疲れた表情をしていると、気遣いの声をかけてくれます。私と先生が話している間、迎えに来てくれたことが嬉しくなった子ども達は、保育所の園庭で少し遊びます。


17時30分頃には帰宅します。車から、二人分の保育所の荷物を運び、子どもを抱っこして家に帰ります。帰宅したとき、近所の友達が外で遊んでいると、子ども達は一緒に遊びたがります。まだ二人とも外で遊んでいるときに目を離せる年齢ではないので、家事を後回しにして少しの時間だけ付き合います。


やっと友達とさよならをして家に入ったら、とりあえず子ども達にはテレビを見させておいて、洗濯物を取り込み、お風呂や夕食の準備をします。夕飯を食べさせるのもまた一苦労です。子ども達はまだ自分でうまく食べられませんが、自分で食べようという意欲を育てるために、こぼしていようが、手でつかんで食べていようが、できるだけ自分で食べさせます。


食べた後の机や椅子の周りはドロドロに汚れています。好きなものを少し食べてお腹を満たしたら、席を立っておもちゃで遊び始めます。十分に食べさせておかないと後でお腹が減るので、声を掛けたり、ご飯をおにぎりにして食べさせたり、口にスプーンを運んだりして、食べさせます。子育てをするようになってから、自分のご飯をゆっくり食べられないので、「胃が荒れているのでよく噛んで食べましょう」と、健康診断で指導されるようになりました


食後は、子ども達の保育所のお手紙を読んだり書いたり、次の日の持ち物を準備したりしたら、お風呂に子ども達と入ります。子ども達はお風呂で水遊びをしても、自分で体を洗うことはありません。二人を洗ってあげてから、自分の体や頭を洗います。私が頭を洗っている間に、次男が浴槽で足を滑らせて溺れそうになったことがあるので、子ども達の様子を気にかけながらササッと済ませます。お風呂から出たら自分は裸のまま子ども達にパジャマを着せます


21時には寝室に行って、子ども達を寝かせたいと思っていますが、おもちゃで遊んだり、テレビを見たりしたい子ども達はなかなか寝室に行きません。絵本を読もうといって寝室へ誘います。絵本を読む頃には、私の意識は眠気で朦朧としています


22時までには子ども達と一緒に私も眠りに落ちますが、夜中も子どもが泣いたり、寝相悪く私を蹴ったりするので朝までに2、3回は目を覚まします。目が覚めると、次の日にする家事や仕事の段取りを考え始めて眠れなくなることもあります。


夫は遅くまで残業し、平日は毎日子ども達と私だけで生活しているようなものです。愚痴や弱音を吐く相手も時間もありません。お風呂にゆっくり入れなくても、ぐっすり眠れなくても、私が体調を崩したら、家族の生活は成り立たなくなります


休日は1週間分の食材の買い出し、家中の掃除や地域や保育所の行事で、あっという間に時間が過ぎます。何か買い物をし忘れると、あわただしい平日の生活に、子連れでスーパーに行くという仕事が増えてしまいます。このギリギリのルーチンを崩さないためにも、週末の家事にも手は抜けません。


これが、やることが山積みで思い通りにならないことだらけの子育て生活の一部です。この頃からは時間が経っているので、細かいことは忘れてしまいましたが、苦しかったことは十分にアピールできたと思います。


可愛いさかりの子ども達なのに、余裕がなく強くあたってしまう私。

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(製作会社:パテ 2012年3月16日公開)という映画の中で、選挙に当選したサッチャーが、子ども達を家に残して議会に出かけるシーンがあります。サッチャーは自分で車を運転しています。子ども達はサッチャーの車のサイドウィンドウにくっついて、「ママ、私の描いた絵を見て!」「行かないで!」と叫びます。それを横目に、サッチャーは苦しい表情でアクセルを踏みます。子ども達が車を追いかける姿をバックミラーで確認しながら、サッチャーは議会へと向かいます。


このシーンを見て、私は子ども達が保育所に通っていた頃の自分の気持ちを思い出しました。こんなに私を必要としている子ども達がいるのに、本当に出勤しないといけないのだろうか、会社にはたくさんの人がいるし、仕事なんて私がいなくてもどうにかなるのに、といった気持ちです。子ども達の母親は自分しかいないと分かっているのに、自分の意志で働くことを決断したことに対する、罪悪感のようなものがあるのです。


誰かに指示されたから働くのでもなく、みんなが働いているから働くのでもありません。日本では、母親は、子育てを生活の基軸にしているのがまだまだ当たり前なのです。自分の責任で、昼間の子育てを保育所に任せて働き続けることを、当たり前ではないほうをわざわざ選ぶのです。


身近に子育ての経験者や気心の知れた友達がいれば、心の支えになったかもしれませんが、当時は会社と家の往復ばかりで、子育ての相談ができる人は少なかったのです。頼れる親戚も近くにはいませんでした。ちょっと間抜けな子どもの発言で、普通だったら「わはは」と笑って癒やされるような

ときも、苛立って笑えないこともありました


子育てでは、子どもの言動に癒やされたり、笑ったりすることもあります。子どもの何気ない質問や言動で、自分の考えを見直すような機会もあります。子どもを通じて、何かを知ったり、誰かと出会ったりすることもあります。そんなメリットなんか羅列しなくても、子どもという存在は、自分の子に限らず尊くて、その命が目の前で健康であること、笑顔であることだけで、とても幸せなことだと思います。


私は、子ども達を生み、育てることができて本当に幸せです。ですが、当時の私は、愛している子ども達にさえ、イライラしてキツイ言葉で叱り、いつも怖い顔で、毎日のやるべきことをとにかくこなすことばかりを一生懸命考えていました。一方で、母親がこんなに疲れてイライラした生活では、子ども達が健やかに育つわけがないと感じていました。

イライラから自分を解放できたのはヨガのおかげ。

そんなイライラした生活から抜け出すきっかけとなったのがヨガでした。ヨガを学びに行って、自分自身が癒やされて、日々の心のメンテナンスとトレーニングを学んでから、子育てであまりイライラしなくなりました。自分自身を大事にできるようになって、子ども達の存在をそのまま受け入れるための心のスペースができたのです。


それからは、子育てで日々起こる思い通りにならない出来事を、まじめに考えすぎずに笑い飛ばせるようになってきたのです。子育てで悩むことは今でももちろんありますが、子ども達と自分の成長を信じ、乗り越えられるようになってきたのです。親になった以上、子育てからは逃げられません。小さな命を背負う重圧を感じることは当たり前のようにあります。自分が生んだ新しい命の未来に、母親である自分が大きな影響を与え続けます。ですが、逃げられないことに毎日正面から向き合うからこそ、気付く成長の機会があるのです。