ヨガで心を鍛える2つの習慣「禁戒」と「歓戒」とは?

ヨガを学ぶことが、心を強くする方法を身につけることができる。

タイトルを読んで「なぜヨガを学ぶことが、心を強くする方法を身につけることになるのか」と疑問を持たれた方が多いと思います。今では、女性向けのエクササイズというイメージが強いヨガですが、もともとは、宗教において心や体を鍛えるための行法でした。「ヨガの八支則」という、より良い人生を得るための8段階のヨガのプロセスを簡単にご紹介します。


8段階のヨガのプロセス

1.悪いことはやめましょう

2.良いことをしましょう

3.体を動かして健康に保ちましょう

4.呼吸をコントロールする練習をしましょう

5.感情をコントロールしましょう

6.瞑想をして雑念を沈めることに集中しましょう

7.瞑想を深めて雑念を消し、「自分である」という感覚だけを残しましょう

8.自己と他との区別がない、万物とのつながりを感じましょう


体を動かしたり、呼吸をしたりするのは、ヨガのプロセスのひとつに過ぎず、日常の行いを改めることや、瞑想をすることも含めてヨガなのです。つまり、ヨガは体を健康に保つだけでなく、心を健康に強くすることも目的としているのです。


私達の生活では、目に見えないものへの関心が薄れてしまっています。怪我をすれば治療をします。体温計で測った熱が高ければ、体を休ませます。一方で、目に見えない心は、傷ついていても、疲れていても、目に見えないので放っておかれがちです。同じように、健康のために体を鍛える人はたくさんいるのに、心を鍛えることはあまりフォーカスされません。


メタボ対策のためにウォーキングをしよう、腰痛予防のために腹筋をしよう、肩凝り改善のために肩甲骨周りの筋肉を動かそう、というように、体を鍛える手段は簡単に思い描けますが、心を鍛える手段を簡単に思い描ける人は少ないと思います。日常生活における人間関係や、夢を叶える過程の中で、心の弱さのために困ることがあっても、どうやって心を鍛えれば良いかが分からないのです。


心のトレーニングでおすすめしているのは、呼吸に意識を向けて今この瞬間この場所にとどまるということ。また、足指を動かして大地に意識を向けることも、心のトレーニングになります。ヨガには、このように「具体的な行動」を伴う心のトレーニングが数多くあります。


ヨガの「禁戒」と「歓戒」を取り入れて、心のトレーニングをすること。

ここでは、ヨガで目指している心のあり方として、「禁戒」(ヨガの八支則の1.悪いことはやめましょう)と、「歓戒」(ヨガの八支則の2.良いことをしましょう)をご紹介します。ヨガでは、この禁戒と歓戒を守ることで、自分を含めたすべての存在を尊敬し、心を平和にすると考えられています。


「禁戒」は、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪の5つ

①非暴力…苦痛を引き起こさないことを意味します。目に見える物理的な暴力だけでなく、言葉や思い込みによる暴力も含めています。


②正直…嘘を言わないことを意味します。知ったかぶりをすることも嘘と同じです。


③不盗…盗まないことを意味します。物やお金だけでなく、時間を盗まないことも含みます。


④禁欲…本来は禁欲し、独身生活を守るという意味ですが、現代生活に置き換えると、無駄遣いをしない、ととらえれば良いと思います。お金や資源の無駄遣いだけでなく、体や心のエネルギーの無駄遣いも含みます。


⑤不貪…これには、2つの解釈があります。ひとつの解釈は物を貪らない、貪欲でない、適切に使うことのできる範囲を超えた貯蓄をしないことを意味します。もうひとつの解釈は、贈与を受けないことです。あわせて考えると、お金や身分の安定性に関して欲張らないととらえれば良いと思います。


「歓戒」は、清浄、知足、苦行、読どくじゅ誦(神聖な書物の研究)、自在神への祈念(自己放棄)の5つ

①清浄…体を清潔に保ち、心を純粋にするという意味です。思い、言葉、そして行為において純粋である

ことです。


②知足…いわゆる、「足るを知ること」です。自分に与えられているものを十分だと感じ、感謝の気持ちを持つことです。幸福を自分の外に求めず、あるがままの自分を受け入れていくことです。自分の人生を信じ、何かが起こっても、起こらなくても、そのまま受け入れることです。


③苦行…自分自身の向上のために、肉体的または精神的な苦痛を受け入れることです。分かりやすい例としては、ダイエットという目標のために大好きなスイーツを我慢することや、他者からの厳しい指摘で傷ついたとしても、自分のために忠告してくれたことに感謝することなどが当てはまりま

す。禁戒の「非暴力」として、苦痛を引き起こさないことと書きましたが、「苦行」をストイックに実施しすぎると、自分への暴力、いわゆる「頑張りすぎ」になります。「非暴力」と「苦行」はバランスをとる必要があります。


④読誦(神聖な書物の研究)…「霊的な研究」、つまり、聖典などの神聖な書物の研究を継続的に行うことです。ですが、日本人が宗教への関心が薄いことを加味すると、良いと信じるものを継続的に学習すると考えれば良いと思います。例えば、尊敬する人の本を継続的に読んで、その尊敬する部分を真似して身につけることも、「読誦」です。


⑤自在神への祈念(自己放棄)…自己を含むすべてが神聖な存在であり、そのすべてに献身することです。自分も、他者も、動植物も、地球も、宇宙も、大きな目で見れば、すべては同じ存在です。すべてが平等に今この世に存在しています。そのすべてに敬意を示すということです。簡単に言ってしまうと、物を大事に使いましょう、人にも自分にも優しくしましょう、ということです。

(参考文献:『インテグラル・ヨーガ(パタンジャリのヨーガ・スートラ)』 著者:スワミ・サッチダーナンダ、伊藤久子(訳) 発行:めるくまーる 1993年12月)


以上が、ヨガの禁戒と歓戒です。もともと、ヨガはインドの宗教における行法であったので、今の日本人の感覚で説明を補足しました。日本人は宗教への信仰心が低いといわれるものの、宗教性のある考え方や精神が生活に根付いているため、生活の中でなんとなく道徳心がはぐくまれているものです。その道徳心から見ても、「禁戒」と「歓戒」は受け入れやすいものだと思います。とはいえ、祭り、法事や墓参りなどの、日常生活における宗教的行為への参加が昔に比べて減っているので、「読誦」や「自在神への祈念」の考えに、親しみを持てない人はいるかもしれません。

心のトレーニングは具体的な動作を伴う方が実行しやすい。

私達は、「悪いこと」、「良いこと」をなんとなく分かっていて、その時々で判断しています。ですが、「なんとなく」判断しているので、つい自分に甘くなってしまうものです。スキルアップのために30分だけ勉強をしようと思っていても、ついスマートフォンを触って時間を過ごしてしまったり、健康のために毎朝ランニングしようと思っていても、温かい布団からでられなかったりします。


自分に甘くなるのが悪いとは思いませんが、自分にとっての心の目標として、「悪いこと」と「良いこと」を明確にしておくことは重要なことだと思います。体のトレーニングで、「○○キロメートルを○○秒で走れるようになる」、「年末までに○○キログラムダイエットする」と目標を持つように、心のトレーニングでも目標を明確に持つのです。


このヨガの「禁戒」と「歓戒」を心の目標として利用するのも良いと思います。さて、目標を明確にしたとしても、ただ日常で意識するだけでは、なかなか実行ができなかったり、継続できなかったりするものです。先ほども書いたように、ヨガでは、心のトレーニングをするために、呼吸、足指を動かすなどの、「具体的な行動」を利用することができます。


私達は、目に見えないことより、目に見えることにフォーカスしがちです。そのため、「悪いことをしないようにしよう」、「良いことをするようにしよう」とただ思うよりも、心を整えるために、呼吸をしよう、足指を動かそう、という具体的な行動とつなげて実践したほうが、はるかに身につきやすく、実行しやすいのです。