気持ちの整理の仕方はワークをするのが1番。体験談にて解説。

気持ちの整理をするには形で表現するのがいい。

私は自分の中の神聖さを捉え、このままではいけないと心改め、持ち続けていた「許せない」感情を癒やすために、ある行動に移しました。

「許せない」感情を癒やそうと思うのですが、癒やして前に進むのか、そのまま持ち続けるのかという、その比重が、どうしても持ち続けていたい方に引きずられました。常に自分の中の神聖さを信じて現実をつくっていくことを指針にしていても、根が深く絡まった人間関係の前では揺らいでしまう。今思うと現実逃避そのものでした。一向に癒やしが進まず、また元の氣持ちに戻っていく悪循環の中にいました。

そうすると、この感情を持ち続けている私に何が書けるだろう、今まで学んできたことや経験を書くにしても、今このような状態を早急に変えたいとしていない私には、それはすべてがうわべを取り繕った虚構をつづったものになるのではないか、というような氣がしました。

書くことの方へ進んではいけないのではないか、だからこのような現実が目の前に現れたのではないか、という思考にどんどん支配され、その意識のアンテナは書かない方向へいくような情報をキャッチしていきます

もちろん、この「許せない」という感情を癒やしていくことには取り組もうとしていましたが、あまりにも怒濤の勢いで現れたので、もう揺らぐのも通り越し、いつしか優先順位は書かない現実をつくろうという意識の方に変わり、そう決めるとスッキリと心が晴れてきました。

今は、何か作ることを楽しんでみたいという方のために、単発のレッスンも開講しています。制作はワイヤーアートジュエリーに限らず、他のいくつかある制作物の中から自由に、自分の心が赴くまま何が作りたいのかを選び、それに必要な材料や自分の思いに合いそうな天然石を選び、制作に入ります。

こちらは制作技術を学ぶというよりは、心の中を表現していく、心を視覚化していくことで、自分は、心がワクワクするようなものを生み出していける存在なのだということを思い出すきっかけにしてほしいという意図で開講しています。

そうすると、何を作ろうかと悩み、どれを選ぼうかと悩みつつも、自分との対話を楽しみ、手を動かし進めていくとしだいに心もほぐれ、どんどん自分のオリジナルアイデアが生まれてきます。自らを表現する、自分の心が幸せだと感じるものを創造していく喜びは、完成時のとても晴れやかでにこやかな顔に表われています。自らの創造を楽しむことは自己ヒーリングをしているような効果があると思います

私は、このようなことを自分自身や皆さまを通し体験してきているので、神聖な自分を取り戻す兆しが見えたとき、現実逃避で心をスッキリさせるのではなく、体感覚で、まず素直に創造の喜びを味わおうと思い、紙粘土とビー玉を購入したわけです。

ビー玉を私の凝り固まったものに見立て砕こうと思ったのですが、金づちでたたいても割れません。それに、光に当たるときれいに輝くビー玉を見ていると、これを砕くのは違う氣がしました。

部屋を見渡すと浄化用として置いてある備長炭に目が留まりました。これだと思いたたいてみると、こちらも硬かったのですが、その分割れた瞬間に爽快感もあり、細長い黒い物体は、もう原形をとどめないぐらい粉々になりました。このときのBGMには星野源さんの「地獄でなぜ悪い」をエンドレスに流します。このリズムと歌詞が、私の復活したい心の痛みにとても染み込んできます。

次に、紙粘土を球体にします。私はもともと、丸という図形が好きです。平面であっても立体であっても好きですが、私にとってその美しいフォームは、どこを切り取っても緩やかな曲線であり、いつも柔軟にかたちを変えていくような不偏性があって、その不安定な完成形に、どこか神秘的なものを感じるのです。

それから、球体にした白い紙粘土に粉々にした炭をつけてみましたが、うまくつかないので水で紙粘土をぬらします。とても単純な作業なのですが、普段の制作物とは違うので、想像していたより楽しい。私の心の中から創造された真っ黒い鉛のような球体は、ダンゴ虫が丸く固まったような感じになり、つついてみると今にも動き出しそうな不氣味なものになりました。

少しスッキリして、しばらくそれを眺めていると、それが、となりのトトロに出てくる「まっくろくろすけ」のようにも見えてきます。私の心が変わると、その物体も変わって見えてくるから不思議です。色とりどりのビー玉をくっつけて、すべてを覆うように敷き詰めると、初めはなんて醜いのだと思っていたものが、だんだん愛らしくいとしく感じられます。

この球体の変容は私の心の変化とリンクしていきました。こんな大きな心の塊を出すことができたということ、こうして塊となって出されたかったこと、だから起こった出来事。そんなことを思っていると、起こったことすべてにじわじわと感謝の氣持ちが湧いてきます。この黒いものを洗い流してみようと、洗ってみるとみるみると白い部分が現れて、私から熱いものが込み上げ、温かいものが頬を伝いました。もう、私は大丈夫だと確信できた瞬間です。

しっかりと自分の内面を見直し、心を改め癒やしていくと、自分とみんなが幸せでうまくいく現実をつくるにはどういう選択をすればいいかがはっきりとわかってきました。手を動かし、かたちに表して表現してみると、自分自身の内なるものを客観的に見ることができます。客観視して心を分離していくと、苦しく助けてほしい自分を知ることができるそれを助けることができるのは、やっぱり自分でしかない。

そして創造していくことの素晴らしさを実感した意識は、このような機会をいただけたことに感謝し、書く勇氣を与えてくれました。現実は自分の望みでどのようにでも変えることができます。書かないことを選択した未来もあったと思います。または、黒い塊を持ち続けながら書くこともできると思います。

でも、このことをよき経験として癒やせた今は、違う分野で表現しお伝えしていくことでお役に立てるよう、真摯に進めていこうという氣持ちでいっぱいです。