子育てに悩むお母さん。笑顔の私を見てください。

子どもが生まれると親になる、親になれる。

「大人になって結婚し、子どもができたら親になる」単純に、また勝手にそう思い込んでいたことに気付いたのは、わたし自身が大人になり、結婚して、出産~子育てを経験してから。「親になるって、そう簡単なことじゃない」って思い知った


思えば、昭和四十~五十年代に育ったわたし、親戚や近所の大人たちの結婚生活や子育てを、目の当たりにしてきた。そんなわたしの目に、周囲の大人たちが「子育てに苦労」していたようには、全く映らなかったし、短大で教員免許を取るために、子どもの発達や関わり方を学んであったから、親になる不安を感じたことはなかった。それどころか、「絶対大丈夫!」って自信もあった。でも、そうじゃなかった。「子育てって大変!」思うようにいかないことの連続だった。


「何でそんなことするの?」「何で今?」「何でまた?」。「何で?」という「訳がわからない波」が、次から次に押し寄せてきたの。なす術が一つも思いつかず、翻弄されて疲れ切ってしまう。良い子ちゃんで育って、自信満々だったわたしが崩れていく。そんな不安な毎日だった。わたし自身に

も、子ども時代があったはずなのに


特に、子どもが小さいころ、そう幼児~小学校低学年までは必死だったことしか思い出せない。特に長男の子育ては、初めてだし、「初孫」だと思うと肩に力が入っていたようで、いつも「これでいいのか?」って自問自答の日々を送っていたように思う。病気やけがは何よりも心配で、「たかが虫刺され」と思っても、翌日、夫の実家に行くことが決まっていると、とりあえずお医者様に行って薬をもらっておかないといけない。


「それ、どうしたの?」って義母に聞かれる。責められているように感じる自分がいて、不本位ながらそうするしかなかったわたし。情けない。「子どものためじゃなく、保身」一事が万時、そんな窮屈な子育てだった。真面目な良い子ちゃんで育ち、一生懸命に生きてきて、「自分のことよりも子どもを大事にしたつもり」のわたし。


でも、どんなに自分を犠牲にして頑張ったからって、母親には「よく頑張っているね!」という労いの言葉もなければ、「大丈夫だからね! 心配ないよ!」という励ましの言葉をかけてもらった記憶もない「お母さんなのだから、当然でしょ!」「何を甘えているの?」「もっとしっかりしなさい、あなたはお母さんなのよ」周りの大人の目は、わたしの子育てを監視しているように見え、その視線は冷たくて、なんだか責められているように感じることもあった

子育て中は必死になって周りが見えなくなるもの。今だから笑える自分がいる。

同じようなプレッシャーがあっても、言葉や表情には出せずに悩んでいる人は、決して少なくはないと思う。不安だったり、窮屈だったり、思うようにいかなくて疲れ切って、イライラして……自信喪失して涙、涙、涙。今、振り返れば「負のスパイラルだ!」ってわかるのだけど、毎日の生活に必死なそのときは、気付かない。気付けないものなのよね。だって、子育て中は冷静になれる時間は全くないのだから。それに、冷静になる方法を、誰も知らない、教えてくれない。だから仕方がない仕方がない。


そんな子育てを何とかかいくぐって、そう、今がある。見るからに楽しそうに子育中のママとおしゃべりしているわたしがいる。あんなに手のかかった子どもが大人になって、自立した今だからこそ笑える! そう、わたしがいるじゃない!


過ぎ去った時間(とき)の中で実際に「起こったこと」「感じたこと」「学んだこと」などを書き残そう! それが誰かの役に立つかもしれない。子育てが「いつも」また「すべて」が楽しいわけじゃなかったからこそ、今のわたしがある血となり肉となり、細胞の一つひとつとなって、今のわたしをつくっているすべてに感謝できる!