自ら考え行動できる子に育てる3ステップ!

自分の考えを持てる子になるために。論理的思考力の必要性・・・

正解のある学問から創造的な学問へと教育の目標はシフトします。いえ、新たな目標が追加されたと考えた方がいいでしょう。暗記はコンピューターの方が得意だからといって、人間は何も覚えなくてもいいわけではありません。ベースとなる知識がなければ自分の考えも創出できないのです。


少なくともテストの時には、頭の中に知識を蓄えた上で、さらに意見を書くことも求められるのです。考える力の根底にあるものは最低限の知識です。知識や語彙をもとに論理力を駆使して思考し、判断し、考えをまとめ上げ、初めて自分の考えを表現することができるのです。


幼いうちは論理力も未熟で、一方的に気持ちをぶつけたり、つじつまの合わない要求を押しつけたりしてしまいます。けれども、論理という共通ルールを知れば、そのルールに則して相互に意見をやりとりできるようになります論理力は活発な話し合いを下支えする大切な力です。


「これからは、論理的思考力が求められる」と声高に叫ばれていますが、論理的思考力は「何もしなくてもいつのまにか身についた」というような簡単なものではないだけに注意が必要です。

「主体的な学び」を育児にも取り入れよう!

言われた通りのことだけをする指示待ち君を作らないために教育改革が行われつつあり、今後は学校の授業でも生徒の主体的な学びを促す指導形態を充実させるとのことです。ただ、私たち日本人は自由にものを言う文化を持ちません


「和を以て貴しとなす」精神が日本人の心に根付いており、職場でも学校でもチームワークを乱さないために自我を出しすぎないことが暗黙の了解。「相手を尊重し、言いたいことを我慢し、婉曲に表現する」ことが美徳とされています。その点では欧米とは対照的です。


しかし、社会の求める人材が変わり、学校の教育方針も方向転換されるのであれば、これまでの日本人の育児の仕方にも意識改革が余儀なくされるでしょう。親の言うことにおとなしく従わせるのではなく、子ども自身に考えさせる機会を努めて与えるようにしなければなりません


自分の意見を持ち、それを人に説明できるようになるためには、子どもの頃から訓練をしておくことです。自由と多様

性を認めず、命令や指示の多い環境で育てられたなら、子どもは自分の意見を持てるようにはなりません。子どもに主

体性を望むなら、まずは親が変わらねばと思います。


「こうしなさい、これをしてはダメ」と命令ばかりしたり、せっかく子どもが自分で考えたことを頭ごなしに否定したりでは、子どもは自分で考えることをしなくなります。だって、余計なことを言わなければ嫌な思いをしなくてすむのだから。


まずは「間違うのは恥ずかしいことではない」「間違いは正してもらえるから大丈夫」と子どもが思えるようにしたい。子どもの発言を歓迎する雰囲気が大切なのですね。子どもの意見に耳を傾けて、否定しない、萎縮させないこと。そして、自由に意見を出し合ったところで、より良い方向へ導いていきたいものですね。


私が「アクティブ・ラーニング」を知ったのは、東京大学の大学総合教育研究センターの講座「インタラクティブ・ティーチング」を受講したことがきっかけです。「アクティブ・ラーニング」には様々な手法がありますが、どの手法にも共通しているのは「生徒の主体的な学びを促すこと」です。これを裏返すと「先生が教えすぎないこと」とも言えます。


国語教室で指導していても「私がうまく教えすぎると、生徒はわかった気にはなるけれど、できるようにはならない」と感じます。懇切丁寧に解説をすればするほど、生徒は学びを他人事と感じてしまい、どこかお客さまのような顔つきで授業を聞き始めます。これでは授業が教師側からの一方通行で終わってしまう。大切なのはわからせることではなく、できるように導くこと教師が教えるのではなく、生徒が学ぶことです。


彼らが生涯にわたって、自分の力で主体的に学べるようになってもらうことです。それは育児でも同じです。子どもに指示を与え、管理をすれば、その時はうまくできるでしょう。でも、それが行きすぎたり長期間にわたったりすると、子どもの自立を阻害する要因にもなるのです。


教育でも育児でも、おとなには「子どもを信じて待つ」という姿勢が求められます。それには、大変な忍耐力が強いられることは重々承知の上ですが。しかも、好き勝手に自由にさせればいいわけでもなく、「見守りながら導く」という心の広さとテクニックも求められるのです。