人工知能が出現した未来はどう創る?今後の人類の生き方は。

新たな産業革命の中で人類の未来はどうなる?!

新しい技術が生活のなかに急速に取り入れられ、私たちの生活はどんどん便利になっていきます。最先端の科学・技術の世界でも、毎年のように日本人がノーベル賞を受賞しており、科学・技術の進歩への日本の貢献度は相当大きなものがあります。特に、情報技術の進歩は、それぞれの分野間の情報流通に革命的な変化をもたらし、拡大した知識の協調や融合が進んで、AIやIoTなど新たな産業革命とも呼ばれています。


産業革命といえば、十九世紀イギリスで起きた、蒸気機関の発明など動力源や産業技術の革新をさします。それに伴い労働者という階層が登場し、共産主義が世界を席巻するなど社会構造にも大きな変革をもたらしました。


また、産業革命は、地球環境にも大きな負荷を与える結果になりました。生産活動の拡大による環境汚染や地球温暖化は、産業革命以降急速に拡大し、世界はこれを克服することができていません。


アルキメデスが浮力の原理を発見して「お風呂を飛び出した」紀元前三世紀から二千三百年がたち、科学や技術は、産業革命を経て、核兵器を作りだし、人間は自らと地球を滅ぼす力を持つまでになってしまいました。科学や技術は、今後、ますます発展を続けていくことでしょうし、私たちの生活は、ますます便利で快適なものになっていくことでしょう。


IT技術は、私たちの生活を豊かにしてくれていますが、将棋や囲碁の世界でも、コンピューターがプロ棋士に勝つまでになってきて、将来、人間がコンピューターに支配される、ターミネーターの世界が、現実のものになるのではないかと思ったりします。一方で、私たち自身はどうでしょうか。

これからの未来、技術に蝕われることのない世界創りが大切。

アルキメデスより二世紀ほど前、ソクラテスは人間のあるべき姿を求めました。そのさらに百年ほど前、東洋では、孔子が徳の政治を説きました。アルキメデスよりさらに、三百年以上も前から、「人としてどうあるべきか、どう生きるべきか」は一貫して哲学の主要問題であり続け、哲学者でない私たちにとっても重要な問題のままで、人間関係における悩みや悲しみ、楽しみまで変わることはありません。


科学や技術の成果は文書やデータとして残り、ほぼすべて次の世代に伝わります。そして、人は、その上に知識を重ねていくことができます。成果は累積させることができるのです。一方、人間としての生き方といった人の行動や精神にかかわる部分については、知識は行動されることに意味があるとすれば、どんな素晴らしい知識であっても、それを理解するのは人の脳、精神でなければなりません。


ところが、人間に与えられた時間は限られており、死という宿命(エデンの園で、アダムとイブは生命の樹の実は食べなかった)は、乗り越えることができないのです。そこで、ついに技術が人間の能力を超えて、地球自体を蝕むことになり、自ら発明した技術(たとえば、核兵器)によって自分たち自身を滅ぼす事態に直面することになってしまったのです。


私たち人類は、この科学や技術に支配されるのではなく、支配しなくてはならないのです。企業の現場でも、同様に科学や技術の恩恵に浴することが多くなり、ややもすると、チャップリンの「モダン・タイムス」のような、技術に振り回される事態もあり得るのではないでしょうか。


時々、登場いただくドラッカーも次のように言っています。「われわれは、技術をめぐる大きな問題は、技術的な問題ではなくて、人間的な問題であると、気づくようになり、また、技術の歴史と進化についての知識が、人間の歴史の理解にとって本質的に重要なことを理解するにいたっている。…さらにわれわれは、現代技術文明をマスターするため、技術の歴史、発展、動学を理解しなければならないし、そうしないかぎり技術を主人として従属しなければならなくなることを急速に学びつつある。」(「技術は人間を変えるか」ドラッカー全集5 P・F・ドラッカー ダイヤモンド社 1972年6月)


科学を支配するには、科学の発展に勝つ能力を身につけなければなりません。科学や技術、機械やITにない人間らしい能力を身につければ、追い越されることはないでしょう。それは、哲学の本質「いかに生きるべきか」に基づいた思考ではないでしょうか。


ドラッカーが絶賛するテイラーやオートメーションシステムを導入したフォードは、労働の効率化により生産性を高めることで豊かな社会を目指しました。技術は、チャップリンが指摘したように、意図した結果ばかりではありませんでしたが、先人たちが求めたように、人にとって「豊かな社会とは何か」を現代に考えることが必要なのではありませんか。