心理学的、判断基準を持つために!

自分のモノサシ

私がアドラー心理学を学ぶ前は、愛されたい、愛する人の愛情がまるでシャワーのように私に降り注ぐ、

そんなことをイメージしていました。そして、なぜ私にはそんな人が現れないのかと考えていました。

そして、大切な人ができたらできたで、今度は愛されている証拠探しをしないと気が済みませんでした。

とても苦しいのです。大切な人ができたら幸せになるはずなのに、苦しいのです。

どうしてこんなに苦しくつらいのか。せっかく愛を手に入れたのに、なんだか違うのです。

そんなあるとき、私はある人から「絹ちゃん、自分のモノサシがないね」と言われました。

その頃の私は、この言葉の意味がまったく理解できませんでした。

「自分のモノサシ何それ?意味がわからん」その瞬間、私の心に浮かんだことです。

今思えば、それは自分の基準で物事を選んでいない、人の評価・基準で物事を判断しているという意味でした。

その頃の私は、自分の人生の選択を自分で決めるのではなく、人の顔色を見て決めていたり、

誰かがいいと言ったからいいと考えたりしていました。日常生活のちょっとしたことでも同じです。

たとえばセンスのいい友人が「あのパン屋さんのクロワッサンおいしいよね」と言うと、

私はその情報を取り込み、同じように「あのパン屋さんのクロワッサンはおいしい」と言っていたのです。

自分が食べておいしいと思ったとしても、誰もおいしいと言わなかったら、

私は「あのクロワッサンはおいしい」とは言えないと思い込んでいました。

自分の感覚にまったく自信がない

そもそも、他人の判断基準をそのまま受け売りのようにしてきたので、自分に判断基準がないのです。

私が選んだものは本当にいいものなのか、価値があるものなのか、まったくわかりませんでした。

異性を選ぶのも同じでした。本当に失礼な話ですが、結婚相手も、

こんな私を選んでくれるのはもうこの人ぐらいかもしれないと思って結婚したところもありました。

結婚生活は私が愛されるために相手に合わせて、相手の望むような女性にならなくてはと必死だったように思います。

本当の自分を出してはいけないと思い込んでいました。すっかり二人の間には上下関係ができあがっていたのです。

常に夫の顔色を見て、ご機嫌をうかがう毎日です。

あげくは、他のご夫婦と比較して、自分の置かれている境遇を恨むということをしていたと思います。

夫に対して私は変わってほしいと願うようになりました。

そうすると、どんどん夫の支配はエスカレートするばかりで、一向に良くならないのです。

家族全員が限界というところにきて、離婚をしました。

当時は世間からもそんなに注目されていなかったですが、配偶者からの支配と暴力を受けていました。

支配関係の中で依存するという生き方をしていると、自分の判断基準を持てなくなってしまいます。

私がやり直すと決めたときにしたことは、自分の人生を自分の基準で考えて決断して生きるということでした。