長所は「当たり前」に隠れている!?ここに着目してみて!

よりできるようになりたいことに着目する

自分の手ごたえを取り戻すには、できていないところではなく、できているところに着目することも大切だ。

私は子どもの頃、祖父にこう言われた。「卓哉は、相手の目をしっかりと見て話を聞くところがいい」と。

それ以来、私は、相手の目をしっかりと見て話を聞くことをずっと意識しつづけている。

もしあの時、祖父にこう言われていたらどうだっただろうか。

「卓哉、話を聞く時は、相手の目をしっかり見ないといけないぞ」と。

おそらく、私は「ふーん、そんなもんか」と思っただけだろう。もしかしたら反発したかもしれない。

「いつも相手の目をしっかりと見て話を聞いているのに、何でそんなことを言われないといけないのだ」と。

いま振り返ってみると、祖父の言葉の力はすごい。

その当時、私は褒められるほどの長所は持っていなかったかもしれない。

もしかしたら、祖父は私に注意をしたかっただけかもしれない。

真実がどちらであったにせよ、私はその後、祖父の言葉を信じ、つねにそうすることを意識し、心がけてきたのだ。何十年という間。

そして、これからもそうしつづけるだろう。

私は人から、「話を真剣に聞いてくれる」と言われる。

だが、実は私はそうは思っていない。

相手の目をしっかりと見て話を聞くことは簡単ではないからだ。

いつもまだできていない、まだできてない、と思っている。

でも、もしかしたら、これは私の長所なのかもしれない。

無意識のうちに身につけている得意なのかもしれない

また、私はよく人から「教えること」を頼まれる。セミナー、研修、勉強会、キャリア相談、メンターなど。

これも会社を辞めて自分のことを振り返ってみるまで気づかなかった。

ある人から、「土肥さんは教えることに才能を持っていますね」と言われていたにもかかわらず。

なぜ私は自分の得意に気づかなかったのか?

それは、当たり前のことだったからだ。

私にとって、「しっかりと話を聞くこと」や「わかりやすく教えること」は当たり前のことなのだ。

なぜなら、私が思い描いている理想像はもっと高いところにあるからだ。

その理想像を思い描かせてくれたのは、私がこれまでに出会った人たちだ。

その人たちは私が大好きな人たちだ

その人たちが私に見せてくれた理想像と比べたら、私の話の聞き方や教え方なんて、とてもうまいとは言えない。

いつも反省してばかりいる。「もっとしっかりと話を聞かなきゃ」「もっとしっかりと教えなきゃ」と。

そして、つねに考えている。

「どうしたらもっとしっかりと話を聞けるようになるだろうか」「どうしたらもっとわかりやすく教えられるだろうか」と。

だから、私は自分で自分の得意に気づけなかったのだ。

あなたにもきっとあるはずだ。自分では気づけない長所や得意が。

もしかしたらそれは、高い高い理想像を思い描いているがゆえに「自分は全然できていない」

「決して得意なんかではない」と思っていることかもしれない。

短所ではなく、長所を伸ばすことだ。いま少しでもできていることを、よりできるようにしていくことだ。

そのためにも、できていないことじゃなくて、できていることに着目してあげることだ。