流れにまかせる人生を選択することで誰にでも平等に!

以前の私は、トラブルを頑張って乗り越えて、問題解決することに時間を使い、

乗り越えた自分は成長したのだと自己満足する日々を送っておりました。

そして、次に来るトラブルを、「神様は乗り越えられない壁は作らない」と、

自らさらに高い壁を作って、また必死になって壁を乗り越えようとしていました。

川の流れに逆らって、川下から川上に向かい自分が持つ力以上に頑張って泳いでいる姿を想像してみてください。

途中疲れて休憩すると、当たり前ですが、川下に流されて元の場所に戻ってしまい、なんの進歩も得られません。

もし仮に、少しばかり他人の力も借りて、川上まで頑張って泳ぎきったとしましょう。

そこには川登りの鮭のような結末が待っています。

頑張って泳ぎきった先には、腹ペコの熊がいて、鮭の努力空しくパクリと食べられてしまいます。

成長を味わうどころか、またいちから泳ぎ始めることになるのです。

流される生き方をずっとしてきた私は、流されていることすら気づかず、頑張る自分のお尻を叩き、

川上にたどり着く頃には、失うものも多くあったという自己犠牲を人や物や環境のせいにしながら、

方向転換することなく次の壁を乗り越えようと、川下から川上に再度泳ぎ始めることの繰り返しでした。

「魂はすでに磨かれています。魂は開くものです」

私の流される生き方を流れる生き方に変えてくれた一言です。

壁を乗り越えると自分が成長し、自己満足することを魂が磨かれることと勘違いしていたことだと気づき、

そして、私の魂は生まれたときからピカピカなんだと気づいたことがどれだけ私を勇気づけてくれたことでしょう。

「ピカピカと光輝くものを開く、つまり外に出すことこそが私が成長することに違いない」

これに気づいたとき、涙があふれてきたことを今でも覚えています。

尊敬する菅家先生からもう一つ素敵な言葉をいただきました。

「導きに導かれるまま、全託する人生を送る」

この言葉をいただいたときに、流される人生はやめようと決めました。

しかし、全部を託す人生ってどういう意味なんだろう?まったくわかりませんでした。

「わからないなら今までと反対のことをやればいい」

単純な私はそう思い始めました。

「流れに身をまかせて生きることにしよう」

最初はそんな感覚的なことだったと思います。

まずは流れに逆らわないことを第一優先とし、やってくることを「はい」から始めてみたのです。

そして、考えず即答することで、過去の記憶を引っ張ってこないよう新しい自分を創作していきます。

もちろん、「はい」と言うことには責任があり行動を伴う必要があります。

有名な桃太郎の話

川上から川下に流れてきた桃をお婆さんが見つけて拾ったことから始まります。

桃から生まれた桃太郎を立派に育てたことで、鬼退治した桃太郎が金銀財宝を持ち帰り、

3人で豊かで幸せに暮らしたお話は、まるでこの全託する生き方そのものだと思います。

このお話の中で、もしお婆さんが桃を見つけられなかったら、または、お婆さんが桃を見つけても拾わなかったらどうなるか?

もしかしたら、その桃を拾った鬼が赤ちゃんを【桃鬼】として育てて、まったく違った結末になっていたかもしれません。

このようにちょっとした選択の違いで、人生には大きな違いが出るものだと私は思います。

桃を受け取るという人生はどんな人生なんでしょう?

これは、やってきたことを受け取り、行動するということです。

流れにまかせる人生を選択することで、誰にでも平等に流れてくる情報・人・物を見逃さず、

タイミングよく自然に受け取ることができるのです。

これらを見逃さないためには、しっかりと見えていることと、

ごちゃごちゃせずスッキリとした状態でいることが重要です。

そしてポイントは、感情をクリーニングすることと、断捨離することに他ならないのです。