金桝 聡
金桝整体施術所  代表金桝 聡

私が腰痛と付き合う事になったのは、建築設計の勉強をしていた23歳の冬に、重たい物を持った時、腰に“ズキ!”と痛みを感じた事が始まりでした。

腰痛になってから様々な治療を試してみたのですが、悪化する一方で途方に暮れていました。

当時、世の中ではチェルノブイリ原発事故(旧ソ連 1986年4月26日)が発生し、大変な惨事になっておりました。

自宅のベットで横たわって坐骨神経痛の痛みに耐えていた私は、その悲惨な情景を見て、「放射能で地球が終わりだから、私もどうなってもかまわない!」

なんてバカな事を考えていました。その時の私は、先の見えない激痛に不安と恐怖で悲観的な考え方しかできず、人生投げやりになっていました。

腰痛から約3年後に、ようやく私に合った療法に出会いました。私の場合は症状が大変重いため改善には大変時間を要しましたが、

施術を重ねる毎に楽になり普通の生活が出来るまでに回復してきました。また、当時は理解出来なかったのですが、

私の自律神経が正常に機能していない事に気づかず大変無理をして、知らず知らずのうちに自分で自分の体を痛めつけ、とことん体を潰していた事が解りました。

私の体は正常で元気だと思っていたのですが、実はそうでは無かったのです。

私の体は、現在でも痛み等の症状が時々発生しています。以前の私は、その症状が発生する度に、「どうして、こんな体なんだろう!」と思い悩んでいました。

また、症状が早期に改善しないと、ほとほと嫌気がさしたり、幾度となくこの体を恨んだりしていました。ところが、いつものように痛みが発生すると、

なんとか解消しないと何をしても楽しくないので、仕方なく自分で原因を探っていました。

すると、時々新たな改善方法をみつけるようになり、新たな施術方法へと繋がっていきました。

現在では、私にとってマイナスだと思っていた痛み等の症状発生が、実はプラスになっている事に気づき、失望から少しだけ希望に変わってきました。

また、気持ちの持ち方にも少し余裕が出てきて、痛み等が発生しても冷静に受け止められるようになってきました。

最後に、施術者として思うことは、「体は生きている(流動的に変化する)ので難しい!」ということでした。

略歴

1960年京都府京丹後市生まれ。

修成建設専門学校卒業後、建築設計事務所に勤務するも、腰椎椎間板ヘルニア(坐骨神経痛・痺れ)・脊椎分離症を発症。

様々な療法を試すが回復せず、自然良能会の骨盤調整に出会い健康を取り戻す。この療法との出会いがきっかけで、佛眼厚生学校(現・京都仏眼鍼灸理療専門学校)に入学、

同時に岩松治療所(現・岩松整体治療所)に弟子として入所し、卒業後も 6 年間、スタッフとして勤務。

その後、故郷の京丹後市に戻り、1996 年、金桝健康指導所(自然良能会 骨盤調整 丹後支部)を開業、

2000 年に金桝整体施術所に改名。

2006 年、自然療能会より脱退。

施術家として働く中で、自らも坐骨神経痛・肋間神経痛・五十肩などの症状を発症するが、その都度、自身の体を実験台に様々な改善方法を編み出す。

その経験を生かし多くの方を改善に導いている。

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